連載小説「今日。あの人に会いに」第1回


2016年10月から2カ月間、5回にわたって連載された「カフェ・コトリ」のスピンオフ小説。「カフェ・コトリ」「今日。あの人に会いに」どちらからでもお読みいただけます。

今日。あの人に会いに  第1

ほのかに流れて来る髪の香りを感じながら、波多江洋一は後部座席に座っていた。運転しているのは娘の瞳だ。洋一は、目が見えない。網膜色素変性症と言う目の病気で30年前に失明した。

 

カーナビが、無機質な女性の声で

「この先1キロメートル目的地です」

と教えてくれる。

 

目的地は福岡県糸島市にある波多江家の墓だ。今日、洋一と瞳の親子は今住んでいる北九州市から、瞳の運転で先祖の墓参りにやって来た。

 

車はやたら細い道を暫くクネクネと曲がりながら進み、停まった。

瞳が溜息混じりに言う。

「おとうさん、此処までみたい。もう道が無いわ。後は歩いてかなきゃ」

「ああ、そうだ……そうだった。車は途中までしか行けないんだ、道が細くて」

「昔と変わって無いのね」

瞳は車から降りると辺りを見渡して、

「あー、お墓が見える……上の方に。スニーカー履いて来れば良かった」

洋一も車から降りて白杖をつく。

「おとうさん、ほら、掴まって」

「花やら線香やら持ってるんだろ?すまんな」

「ゆっくり行こうね」

洋一は左手で瞳の肘を掴む。数歩歩きかけて止まった。

「その辺に水を汲む所が無いか?」

「あ、有るわ」

「水も持って行けるか?俺が花や線香を持とうか」

「大丈夫」

 

瞳は蛇口を捻りバケツに水を溜める。その間に生花の入った大きな紙袋は肩にかけ、斜め掛けにしたポシェットの位置を正した。水の溜まったバケツに柄杓を入れると、洋一の手を取り自分の肘を掴ませる。

「行こう、おとうさん」

 

二人は、時折木の根っこが出てデコボコした地面をゆっくりゆっくり踏みしめながら登って行く。

「後、少しよ……降りるのが又大変そうね」

息が切れて汗が滲む。

「帰りは転げ落ちたら早いんじゃないか?」

「馬鹿な事言わないでよ……目の見えない怪我人運ぶの御免だからね……ふう、着いた」

 

藪に覆われた小さな墓地。瞳は一基一基、墓石を覗き込んでいたが、或るお墓の前で立ち止まり明るい声を上げた。

「有った!お父さん『波多江家』有った!」

「良かった。あ、でも『波多江』はこの辺じゃ良く有る苗字だからな、建立した人の名前が書いてあるだろう?」

「『波多江栄蔵』建立」

「ああ、それだ。間違いない」

「よそんちにお参りしたら大変」

瞳は笑って小走りに洋一の側に駆け寄り

『波多江家』の墓の前に導いた。袋から花を取り出し挿すと、線香の準備をする。

「瞳、拭くものを持って来たか?」

「ここに古タオルが」

「それを濡らして絞ってくれ」

洋一は受け取ると墓石にそっと触れ、拭き始めた。

「長い間、来れなくてすみませんでした……」

 

いつ来たのが最後だったろう?

失明の宣告を受けてから暫くの間は、どう生きていたのか断片的に記憶が飛んでいる。

 

『網膜色素変性症』は現代の医学では治療法が無い。自分の目が見えなくなる。どうして?どうして自分なのだろうか?もう、明るい未来は無いのだ、と奈落の底に突き落とされた。名医と呼ばれる医者を頼って一家で北九州に移った。新興宗教に救いを求めた時期も有った。民間療法や中国医療も試した。結局失明したので、治療の効果は無かったのか、それでも遅らせる事は出来たのか、わからない。徐々に光を失いつつある中、盲学校で精神面のサポート、鍼灸の職業訓練、更に生活訓練を受けた。そのおかげで、5年後完全に失明した時も、洋一はこの先生きていく希望が持てたのだった。

 

 

糸島までは車で一時間半ほどの距離だ。しかし、自分にとっては遠い遠い距離だった。時は流れ、30年振りに今、やって来た……

 

洋一と瞳は墓の前で手を合わせた。洋一は瞳が頭を上げた後も暫くじっと頭を下げていた。

 

「瞳、ちゃんと報告したか?結婚する事になりました、って」

「うん」

「結婚したら、鹿児島で暮らすって事も言ったか?」

「うん」

「……ご先祖様も喜んだろう」

「うん。今度はおかあさんと一緒に来れたらいいね」

「そうだな」

 

 洋一と瞳は慎重に坂道を降りると、車に乗

り込んだ。

「おとうさん、お腹が空いた」

「うどんでも食べるか」

 

 うどん屋は昼時で混んでいた。女店員が数名キビキビと動き回っている。張りの有る大きな声が響く。良く捌けているので混んでいても店内は心地良い気が流れている。

洋一は『肉うどん』瞳は『ごぼう天うどん』を頼んだ。程無くして運ばれて来たうどんを啜る。

 

「瞳、今日の墓参り……お前が行こうって

言ってくれて本当に嬉しかったよ」

「うん」

「有難う」

「そんな……あの…あのね」

「ん?」

「ホントは……おかあさんが」

「おかあさん?」

「おかあさんに、『おとうさんに、あんたか ら誘ってごらん』って言われたの。糸島にお墓参りに行こうって」

「そうか……」

「あー、やっぱり言っちゃった、あたし」

「さすが、おかあさんだな」

「おとうさん、ずっと糸島に行きたいって

思ってただろうし、あんたと一日ドライブもしたいだろうからって」

「そうだな……瞳がいなくなったら……寂しくなるな……」

「鹿児島なんて、新幹線も通ってるしその気になればおとうさんだってひとりで来れるわよ」

 

 昼食を済ませ、店の外に出ると瞳は空を見上げる。

「やっぱり天気予報で言ってた通り、曇って来たわ」

「ああ、風も出て来たな」

「この後、降らなきゃいいけど。ねえ、今からどうする?」

「実は野北の海岸の方で、行ってみたい所が有るんだ」

「あ、そうなの?」

「半年くらい前に、テレビで糸島の特集をやってた時に、気になった店で」

「何のお店?」

「カフェだ」

「へえ、珈琲が飲みたかったからちょうどいいわ、じゃあ、ナビ入れる。なんてお店?」

「確か、『カフェ・コトリ』と言ったと思うんだがな……」

 

 

 『カフェ・コトリ』

忘れる筈が無い。洋一は半年間、ずっとその名を繰り返し唱えて来た。

 

 

車は海沿いの道を走っていた。

「そうそう、この海の匂いだ……この波の音」

洋一は胸の中でひとり叫んだ。静かに興奮していた。

 

糸島の海。懐かしい。懐かしいを通り越して胸が痛い。こんな気持ちになるのは久し振りだ。もう、52歳になると言うのに気持ちはあっという間に昔に戻る。

 

「おとうさん、ナビによればもうすぐ……

あ、看板があった!」

 

 少し小高い丘の上の、素朴な山小屋のような建物。それが『カフェ・コトリ』だった。

車を道沿いの駐車場に止めると、二人は入口に向かって坂道を上って行く。

 

洋一は思う。胸が痛いのは懐かしいからなのか?俺は何を期待してるんだろう?

果たしてミキはいるのか?この店に。

 

瞳が、ドアを押した。

 

「いらっしゃいませ」(続く)

 

著者/SWAN14516367_1081643321932051_8572239103342503126_n(日高 真理子)
人生の後半戦を『書く事で勝負する!』と目覚め、福岡の『花野塾』にて作家活動中。入塾していきなり、MPA/DHU第2回シノプシスコンテストでベスト8に入り、ハリウッドプロデューサーの前でプレゼンする。第9回南のシナリオコンテスト佳作受賞。バレエとフィギュアスケートと着物を愛する57歳。 
45回創作ラジオドラマ大賞コンクールでベスト8入り。

 

 

 

最終回 連載小説「今日。あの人に会いに」

その声に洋一は、体が一瞬痺れた。「ミキだ!」心の中で叫んだ。ミキは今、自分を見ているのだろうか?洋一は白杖をつき、瞳と一緒に店の奥へと歩みを進める。足の裏から感じるのは、弾力と暖か味の有る木の床だ。珈琲と焼けた香ばしい小麦粉の香り。胸の鼓動を抑えきれない。
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連載小説「今日。あの人に会いに」第6回

櫻井神社には、子供の頃から毎年初詣に来ていた。そうだ、ミキとも初詣に来た。あの時おみくじを引いて、小吉と末吉とどっちが上か、と二人で論争になったんだった。車から降りると直ぐに洋一は、スッと背筋が伸び、身が引き締まるのを感じた。自分は目が見えないから、きっと殊更に感じるのかもしれない。厳粛な気が満ちている。
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連載小説「今日。あの人に会いに」第5回

車は再び海岸線を走っていた。「おとうさん、櫻井神社に行ってみる?」「ああ、そうしよう」「珈琲美味しかったわね」「ああ」車内には、スコーンの香りが溢れている。洋一は心を静める様に深呼吸した。目的は果たした。半年前から、心に秘めていた事を実現させることが出来た。    良かったのか?これで。自分は気が済んだけれど、ミキの心に余計な波風を立たせたんじゃないだろうか?
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連載小説「今日。あの人に会いに」第4回

突然、洋一は思い出した。そうだ、れちゃいけない。瞳が席を外している内に。洋一は素早く上着の内ポケットから封筒を取り出した。ミキへの手紙を持って来ていた。悦子に代筆してもらったものだ。どうする?ミキに手渡すか?「後で読んでください」と頼むか?いや、変だ。
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連載小説「今日。あの人に会いに」第3回

瞳はミキに話し掛け、糸島のパワースポットの事などを訪ねている。ミキは嬉しそうに答えている。ミキはどんな男性と結婚したのだろう?何人子どもがいるのかな。瞳と同じ位の年か。男か、女か……「今日はお父様とパワースポット巡りですか?」「……そういう訳じゃ無いんですけど…… 実は、私……結婚が決まって」「あら!おめでとうございます」
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連載小説「今日。あの人に会いに」第2回

その声に洋一は、体が一瞬痺れた。「ミキだ!」心の中で叫んだ。ミキは今、自分を見ているのだろうか?洋一は白杖をつき、瞳と一緒に店の奥へと歩みを進める。足の裏から感じるのは、弾力と暖か味の有る木の床だ。珈琲と焼けた香ばしい小麦粉の香り。胸の鼓動を抑えきれない。
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連載小説「今日。あの人に会いに」第1回

ほのかに流れて来る髪の香りを感じながら、波多江洋一は後部座席に座っていた。運転しているのは娘の瞳だ。洋一は、目が見えない。網膜色素変性症と言う目の病気で30年前に失明した。カーナビが、無機質な女性の声で「この先1キロメートル目的地です」と教えてくれる。
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連載小説「カフェ・コトリ」最終回

「あの……」カウンターに戻りかけたミキの背中に瞳が声を掛けた。「はい?」「ちょっと聞いてもいいですか?」「はい、どうぞ」「糸島は沢山パワースポットが有るんですよね?」「パワースポット。そうですね……二見ヶ浦が有名ですね。
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連載小説「カフェ・コトリ」第4回

 洋一と店で二人きりになったミキは、急に気持ちが焦り出した。洋一と、もう二度と会う事は無いかもしれない。胸が締め付けられる。ミキは心の中で叫んだ。「洋一、私は此処にいるのよ! ごめんなさい。あの時、あなたを見捨てた事を謝りたい。私に気付いて!」
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連載小説「カフェ・コトリ」第3回

「あの……」カウンターに戻りかけたミキの背中に瞳が声を掛けた。「はい?」「ちょっと聞いてもいいですか?」「はい、どうぞ」「糸島は沢山パワースポットが有るんですよね?」「パワースポット。そうですね……二見ヶ浦が有名ですね。
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連載小説「カフェ・コトリ」第2回

 年はおそらく20代前半。小柄な体にショートカットが良く似合っている。「可愛らしい娘さん」ミキは心の中で呟く。クルクルと良く動く瞳が愛らしい。きっと洋一は、自分が失ってしまった『瞳』を娘の名前に託したのだろう。ミキは胸がつぶれる思いがした
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“女の分かれ道”をテーマにした連載小説「カフェ・コトリ」スタート!

そのカフェは、福岡県糸島半島の海辺にあった。 「カフェ・コトリ」。 珈琲と手作りスコーンを出す店だ。この頃はテレビや雑誌でも「糸島特集」が組まれ洒落た店が増えつつあるが、ミキが始めた頃は未だカフェは珍しかった。
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