連載小説「今日。あの人に会いに」第2回


2016年10月から2カ月間、5回にわたって連載された「カフェ・コトリ」のスピンオフ小説。「カフェ・コトリ」「今日。あの人に会いに」どちらからでもお読みいただけます。

 

 (前回までのあらすじ)盲目の波多江洋一は、娘の瞳の運転で糸島に向かっていた。向かう先は、30年前の恋人ミキの営む『カフェ・コトリ』だ。


今日。あの人に会いに  第2回


その声に洋一は、体が一瞬痺れた。
「ミキだ!」
心の中で叫んだ。

ミキは今、自分を見ているのだろうか?洋一は白杖をつき、瞳と一緒に店の奥へと歩みを進める。足の裏から感じるのは、弾力と暖か味の有る木の床だ。珈琲と焼けた香ばしい小麦粉の香り。胸の鼓動を抑えきれない。瞳が何か言っているが、生返事をする。他の客はいないようだ。そう言えばさっき外で一人誰かとすれ違ったが、出て行った客だったのだろう。

洋一と瞳は、向かい合って座った。微かに波の音が聞こえる。

靴音が響き、グラスがテーブルに置かれた。
「お決まりになったら、お呼び下さいね」

やはりミキの声だ。洋一は、おそらくミキは自分に気付いただろう、と思う。だが黙っていよう。最初から決めていた。自分はミキがこの店にいるとは知らないで、入って来た事にしよう。でも、もし、ミキが自分に話し掛けて来たら?その時はその時だ。その時、考えよう。おそらくミキは、瞳のいる前で、昔の恋人と分かるような言動はしないだろう。ミキだって家庭が有る筈だ。

瞳がメニューを読んでくれる。
「ブルーマウンテン。モカ。アラビア……」
「良くわからないな」
「じゃあ、ブレンドにする?コトリ・ブレンド」
「そうだな……」
「私は何にしようかなあ……」
瞳はしばらく考えている。
「おとうさん、決めた?頼むわよ」

瞳が合図したのだろう、コツコツと靴音が近づいて来る。
「お決まりですか?」
「私は『グァテマラ』を。おとうさんは?」
「『コトリ・ブレンド』を」
「はい、かしこまりました」

靴音が遠ざかる。

ミキは、洋一がまだこの糸島の地に暮らしていた若い頃、付き合っていた恋人だった。正式に婚約していた訳では無いが、共に暮らす将来の話をしていた。しかし、洋一の目の病気の事がわかった時、洋一はミキを慮り、別れを告げた。ミキもそれを受け入れた。ミキの両親も反対したから当然だ。結婚する前に分かったのが幸いだったのだ。もう、30年前のことだ。長い月日だった様な気もするし、あっという間に過ぎた気もする。今はミキももう洋一と同じ52歳になっている筈だ。

やはり、ミキは話し掛けないつもりだろう。いや、ひょっとしたら。気付いていないのか?サングラスに白杖、明らかに盲人の身なりだが、ミキと付き合っていた頃はまだ盲人では無かったから、もしかして自分だとわかっていないのだろうか。老いぼれて若い頃の面影が無いほど容貌が変わったのか。もう、そんな男と付き合っていた事は忘れてしまったのか。

「やっぱり雨が降って来た」
「そうか」
「このお店のオーナーさんって今の人かな」
「……」
「きっと鳥が好きなのね。鳥の絵や置物が沢山」
「そうだろうな」
「おとうさん、このお店、何故気になっていたの?」
洋一は少し首を傾げる。
「ああ、その……さっき言っただろう?テレビ番組の中で紹介していたんだ。すごく珈琲豆を拘って仕入れているとか…フレンチ……何だったかな?珈琲の淹れ方」
「フレンチ?フレンチプレス?」
「ああ、それ」
「……おとうさんって珈琲にそんな拘りあった?さっきも良くわからないって言ってたじゃない」
「……」
「結局、ブレンド頼んだし」
「ブレンドがその店の特色を一番出すんだよ」
「ふうん」
「何だ?」
「北九州にもいくらでも美味しい珈琲屋さん有るのに、って思って」
「……いや、懐かしくて。この辺、良く来てたからね。昔はまだそんなにサーファーや観光客向けの店が無くて、確かここも野菜の直売所だったんだ」
「へえ」
「だから、懐かしくてね」
「ふうん……ね、折角来たからこの後、色々行ってみようよ。夕飯までに帰ればいいんだし」
「ああ、瞳に任せるよ」
「後であのお店の人に聞いてみようかな」

少し、洋一はドキッとした。でも、瞳とミキが会話したとしても平静を保っておけば、別になんという事は無いだろう。

珈琲の香りが流れて来る。いい香りだ。
ミキは何を思って珈琲を淹れているんだろう。

「お待たせしました」
2客のカップがテーブルに置かれた。

「有難う」
「おとうさん、熱いから気を付けてね」
「ああ、わかった……このカップは面白い手触りだな……いいね」
「私のカップには可愛い花が描いてあるの」

美味しい。美味しい珈琲だ。付き合っていた頃、ミキが淹れてくれた珈琲を飲んだ事は有っただろうか?有ったとしてもインスタントだったろう……

雨が激しくなって来た。

ミキと別れた時も雨だった。

あの時の事を思い出すと今でも胸が痛くなる。激しい雨の音だけが響き、二人の沈黙はいつまでも続いた。

言うべきなのは自分だ。ミキに言わせてはいけない。自分が今日、今、ここではっきりと言わなくては。

もう、これっきり会うのは止めよう、と。

残念だがこれは悪夢では無く現実だ。何度も夢ならいいのに、と思ったが、やはり現実なのだ。

瞳が甲高い声を上げたので、洋一はハッとした。
「おとうさん!どうしよう!土砂降りになって来ちゃった」
「そうか、困ったな」
「止むかな?」
「天気予報は何パーセントだった?」

足音が近づいて来た。
「あの……傘はお持ちですか?良かったらお貸ししましょうか?」
「あ、いえ……」
「何かのついでの時でも、返して頂ければ。
直ぐで無くてもいいですよ」
「有難うございます。車の中には、傘有るんです。もう少し、小降りになるのを待ちます」
「……そうですね」

足音がゆっくり遠ざかる。

「親切ね」
「ああ」
「ねえ、ちょっと聞いてみる」

瞳は、カウンターに戻りかけたミキの背中に声を掛けた。(続く)

 

 

著者/SWAN14516367_1081643321932051_8572239103342503126_n(日高 真理子)
人生の後半戦を『書く事で勝負する!』と目覚め、福岡の『花野塾』にて作家活動中。入塾していきなり、MPA/DHU第2回シノプシスコンテストでベスト8に入り、ハリウッドプロデューサーの前でプレゼンする。第9回南のシナリオコンテスト佳作受賞。バレエとフィギュアスケートと着物を愛する57歳。 45回創作ラジオドラマ大賞コンクールでベスト8入り。

 

 

 

最終回 連載小説「今日。あの人に会いに」

その声に洋一は、体が一瞬痺れた。「ミキだ!」心の中で叫んだ。ミキは今、自分を見ているのだろうか?洋一は白杖をつき、瞳と一緒に店の奥へと歩みを進める。足の裏から感じるのは、弾力と暖か味の有る木の床だ。珈琲と焼けた香ばしい小麦粉の香り。胸の鼓動を抑えきれない。
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連載小説「今日。あの人に会いに」第6回

櫻井神社には、子供の頃から毎年初詣に来ていた。そうだ、ミキとも初詣に来た。あの時おみくじを引いて、小吉と末吉とどっちが上か、と二人で論争になったんだった。車から降りると直ぐに洋一は、スッと背筋が伸び、身が引き締まるのを感じた。自分は目が見えないから、きっと殊更に感じるのかもしれない。厳粛な気が満ちている。
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連載小説「今日。あの人に会いに」第5回

車は再び海岸線を走っていた。「おとうさん、櫻井神社に行ってみる?」「ああ、そうしよう」「珈琲美味しかったわね」「ああ」車内には、スコーンの香りが溢れている。洋一は心を静める様に深呼吸した。目的は果たした。半年前から、心に秘めていた事を実現させることが出来た。    良かったのか?これで。自分は気が済んだけれど、ミキの心に余計な波風を立たせたんじゃないだろうか?
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連載小説「今日。あの人に会いに」第4回

突然、洋一は思い出した。そうだ、れちゃいけない。瞳が席を外している内に。洋一は素早く上着の内ポケットから封筒を取り出した。ミキへの手紙を持って来ていた。悦子に代筆してもらったものだ。どうする?ミキに手渡すか?「後で読んでください」と頼むか?いや、変だ。
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連載小説「今日。あの人に会いに」第3回

瞳はミキに話し掛け、糸島のパワースポットの事などを訪ねている。ミキは嬉しそうに答えている。ミキはどんな男性と結婚したのだろう?何人子どもがいるのかな。瞳と同じ位の年か。男か、女か……「今日はお父様とパワースポット巡りですか?」「……そういう訳じゃ無いんですけど…… 実は、私……結婚が決まって」「あら!おめでとうございます」
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連載小説「今日。あの人に会いに」第2回

その声に洋一は、体が一瞬痺れた。「ミキだ!」心の中で叫んだ。ミキは今、自分を見ているのだろうか?洋一は白杖をつき、瞳と一緒に店の奥へと歩みを進める。足の裏から感じるのは、弾力と暖か味の有る木の床だ。珈琲と焼けた香ばしい小麦粉の香り。胸の鼓動を抑えきれない。
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連載小説「今日。あの人に会いに」第1回

ほのかに流れて来る髪の香りを感じながら、波多江洋一は後部座席に座っていた。運転しているのは娘の瞳だ。洋一は、目が見えない。網膜色素変性症と言う目の病気で30年前に失明した。カーナビが、無機質な女性の声で「この先1キロメートル目的地です」と教えてくれる。
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連載小説「カフェ・コトリ」最終回

「あの……」カウンターに戻りかけたミキの背中に瞳が声を掛けた。「はい?」「ちょっと聞いてもいいですか?」「はい、どうぞ」「糸島は沢山パワースポットが有るんですよね?」「パワースポット。そうですね……二見ヶ浦が有名ですね。
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連載小説「カフェ・コトリ」第4回

 洋一と店で二人きりになったミキは、急に気持ちが焦り出した。洋一と、もう二度と会う事は無いかもしれない。胸が締め付けられる。ミキは心の中で叫んだ。「洋一、私は此処にいるのよ! ごめんなさい。あの時、あなたを見捨てた事を謝りたい。私に気付いて!」
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連載小説「カフェ・コトリ」第3回

「あの……」カウンターに戻りかけたミキの背中に瞳が声を掛けた。「はい?」「ちょっと聞いてもいいですか?」「はい、どうぞ」「糸島は沢山パワースポットが有るんですよね?」「パワースポット。そうですね……二見ヶ浦が有名ですね。
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連載小説「カフェ・コトリ」第2回

 年はおそらく20代前半。小柄な体にショートカットが良く似合っている。「可愛らしい娘さん」ミキは心の中で呟く。クルクルと良く動く瞳が愛らしい。きっと洋一は、自分が失ってしまった『瞳』を娘の名前に託したのだろう。ミキは胸がつぶれる思いがした
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“女の分かれ道”をテーマにした連載小説「カフェ・コトリ」スタート!

そのカフェは、福岡県糸島半島の海辺にあった。 「カフェ・コトリ」。 珈琲と手作りスコーンを出す店だ。この頃はテレビや雑誌でも「糸島特集」が組まれ洒落た店が増えつつあるが、ミキが始めた頃は未だカフェは珍しかった。
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