ファッションキャリアからコスメ開発へ ディファインビューティ―代表 藤田陽子さん


今回は、テレビ通販番組に出演中のお姿をご存じの方も多いかもしれません。

美容研究家の藤田陽子さんをご紹介します。

アパレル業界で15年以上ものキャリアを積み、その後、オリジナルコスメ「ディファインビューティ―」を発表。大きなキャリアチェンジのきっかけとなったのは、陽子さんの華やかな容姿からは、想像もつかない過酷な試練でした。これまであまり語られてこなかったアパレル業界時代のこと、オリジナルコスメを作るにいたった理由などについてうかがいました。

 

_MI_1440

 ロンドンにファッション留学後、まさかのひどい化粧品かぶれ

 ご実家がアパレル業を営む環境に育ち、小さい頃からファッションが大好きだった陽子さん。大学卒業後は、やはりファッションの道を歩みたいと、ファッション・マーチャンダイジングを学ぶために、ロンドンに2年間のファッション留学をしました。

―陽子さんは、透き通るような美しいお肌をされていますが、もともとお肌がキレイだったのですか?

こうみえても、色々トラブルを乗り越えてきているんです()。最初は20代で、ロンドンから帰国してしばらくした頃。ちょうど体調を崩していた時にコスメを変えたら、顔から胸元にかけて発疹ができて、象の皮膚のようなゴワゴワの状態になってしまったんです。皮膚科を受診したら「洗顔をせず、処方された保湿クリームを塗り、症状が治まってきたら何も塗らないで自分の力で再生するのを待って」というドクターの指示により、なんとか1週間でおさまりましたが、「このまま治らなかったらどうしよう」とすごく怖かった。この時に、肌の状態が悪いと、こんなにマイナスの気持ちになるんだなと実感したのを覚えています。

―NY現地のアパレル企業でのお仕事が最初のキャリアだったそうですが、念願のファッションのお仕事は、いかがでしたか?

27歳で結婚したのですが、当時NY駐在中だった夫について渡米しました。現地のポールスチュアートでファッションキャリアをスタートしました。その後数社で働き、最後はまたポールスチュアートでアシスタントバイヤーとして採用して頂きました。そして「キャリアがこれから面白くなる!」というところで、夫に帰国命令が降りてしまったんです。2013年2月に帰国しましたが、6年間のニューヨーク生活を満喫しました。

―帰国後はどんなお仕事をされたのですか?

 帰国後は、香港への出店計画を進めていたアパレル会社に採用されました。その後は、3か月に1回くらい香港と日本を往復しながら5年半勤務し、その間には香港出店だけではなく、国内の店舗開発も担当して、幅広く学ばせてもらいました。

_MI_1514―すごい。いきなりグローバルな舞台でご活躍だったんですね。その後、ご実家のアパレル会社に入社されたとか。

部長の下で社員教育、採用、店舗開発、また商品仕入れやデザイン企画など幅広い業務に携わりました。実家のビジネスだから「特別扱いされたんじゃない?」と思われがちですが、とんでもない。逆に誰よりも頑張っている姿を見せていないと、「身内だから楽をしている」と社員から思われるようではいけないし、父も厳しかったので、最初の1年間は契約社員という立場で店舗に配属されました。

 

-すでに華々しいキャリアを15年積んでいらした陽子さんにも特別扱いはなかったわけですね。

全然(笑)。土曜日は隔週で出勤だったので、ちゃんと休めるのは実質的には日曜日だけ。父の会社とはいえ、かなりきつかったです。仕事があまりにも大変で体重が激減して、周りの人は「倒れるんじゃないか」と心配していましたが、その後結核を患い、6か月間の投薬で完治しましたが、だんだん身体のリズムが狂い始め、42歳という若さで女性性を失ってしまったのです。

激務に耐えきれず、悲鳴をあげてしまった陽子さんのお体。この後、さらに陽子さんの「ある選択」によって、さらにご自身を苦しめる事態が待っています。

ページ:

1

2 3

ピックアップ記事

  1. 本日は編プロA社の取材に同伴させていただいた。市内のエステサロンの会報向けの、顧客インタビュー。A社…
  2. このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。…
  3. はじめまして。韓国ブロガーのマッコリと申します。この度ご縁を頂戴し、Womancross…
PAGE TOP