代々木上原の人気エステサロン ヴィヴァーチェ代表 挑戦し続けるオーナー舟津真里さん


◆子どもの頃から大好きだった「美容」を仕事に! でも…

 

せっかくなれた憧れのエステティシャンでしたが、厳しい現実の前に2年で退職することに。

―専門学校卒業後は、念願かなってエステティシャンになれたのですね!

大手のエステサロンに就職しました。私は、フェイシャルをやりたかったのですが、エステティシャンの仕事には段階があって、通常、脱毛を1年経験してからボディ、そしてやっとフェイシャルを担当させてもらえるんです。フェイシャルができるようになるまで3年かかると言われていました。入社後は、当然ながら脱毛を担当。その頃の脱毛は、今のような光脱毛ではなくて、毛穴の中に針を挿入する方法でしたが、毎日1日10人、9時間の施術を続けていたらずいぶん上達しました。

でも技術の練習に、下働き、さらに売上にもすごく厳しくて、売上が目標に達しないないと毎日怒られるんです。日中もとにかく忙しいし、21時の営業時間が終わってから店に居残って練習を始めるので、終電での帰宅が毎日続き、上下関係も厳しいし、辛さに耐えられず2年ほど勤めて辞めてしまいました。

― 辞めた後の仕事は、決まっていたんですか? 

決まっていません(笑)。大阪でエステをやらないかという話があったので、友だちと遊び感覚で大阪に行き、エステサロンで脱毛を担当しました。

その時、アートメークが流行り始めた頃で、アートメークの先駆者から教えてもらったのですが、練習が面倒くさくなってしまって、逃げ出すような状態で東京に戻ってきてしまったんです。友だちに盛大に見送られて大阪に行ったのに、1年で戻ってきてしまって、みんなに「負け犬」と言われました。

その後、仕事もせずにぶらぶらしている私の状況にたまりかねた親の紹介で、有名な映画監督がいる芸能プロダクションで働きました。事務所所属の女優さんのロケに連れて行ってもらったり、芸能界の大御所の方々に会わせてもらって楽しかったのですが、やはり芸能界は厳しい世界。ハードな仕事で、ストレスが原因で胃潰瘍になってしまい、2年半で辞めました。

―それはまだ20歳過ぎの頃ですよね。すでにさまざまな経験をされていますよね。 

まだありますよ(笑)。23歳でアメリカのモンタナ州で1年間ホームステイをしました。大自然の中を車で色んなところを回って、人生観が変わる体験をしました。帰国後は、ちょうどバブルの時で、東京には仕事はいっぱい。てっとり早かったのがイベントコンパニオンで、いいお金になりました。その後、事務所に入って、モーターショー、レースクイーンも少しやりました。

その後、結婚、出産を経て、専業主婦になった真里さんですが、周りの人から「〇〇ちゃんのお母さん」「〇〇さんの奥さん」と呼ばれるように。「自分自身が社会から必要とされていない」と感じるようになった真里さんは、「このままでいいのだろうか」と思い始めます。その後、離婚を決意。

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