「自分の人生を自由に描きましょう」メイクアップアーティスト 柴田祐美子さん 前編


◆辛い状況からを救ってくれたのは、大好きな「メイク」だった

-その状態から抜け出せたきっかけは何だったのですか?

体型が変わってしまった自分の姿に、「こんなんじゃ、外に出たくない」と思っていましたし、実際にしばらくの間、学校に行かなくなってしまった時期がありました。でもどうしても学校に行かなくてはいけない状況になったときに、久しぶりに会う友だちからなんて言われるだろうと不安になって。そこで、「そうだ、メイクをしよう」と思い付いたんです。

もともとメイクは好きだったのですが、このときは、じっくり時間をかけてメイクをしました。メイクするにつれて、鏡の中で少しずつキレイになっていく自分の顔を見て、だんだん気持ちが明るくなっていくのを感じました。

また、メイクをした顔に部屋着はあわないですよね。外出用の洋服に着替えると自然に気持ちが明るくなって、自信が持てる。「外に出たい」と思うようになったのです。そのときに、「メイクってすごい」と思ったことを覚えています。その後は、また学校に通えるようになり、小さいときから大好きだった音楽をやろうと大学3年生のときに軽音楽サークルに入りました。

◆卒業後は、幼い頃からの夢の実現に挑戦

-良かった! ホッとしました。「メイクの持つチカラ」を実感されたわけですね。

メイクが好きで、いつもキレイにしていた母親の影響で、私自身も高校生からメイクをしていました。大学時代の辛い状態から抜け出せたのは、「メイクをして気持ちが前向きになったから」だと断言できます。

-普通の学生生活を取り戻せてよかったですね。もともと音楽が大好きとおっしゃっていますが、軽音楽サークルは、いかがでしたか?

ボーカルを担当していたのですが、楽しかったですよ。ステージに立つという貴重な経験もできましたし。実はその後、暴飲暴食の生活にきっぱりとピリオドを打てたわけではなくて、学生の間はずっと続いていたんです。でも音楽に救われた部分は大きかったです。卒業後も音楽をやっていこうと思っていました。

-就職しないで音楽の道に進むと。ご両親からの反対はありませんでしたか?

就職活動の時点で、音楽の道に進みたという気持ちは決まっていました。両親は、心配で反対はしましたが、そのときの私の年齢(23歳)であれば、もしだめでも、やりなおせると思っていたのだと思います。父親は公務員だったので、心のどこかに夢を追う人への憧れというか、応援する気持ちがあったようです。

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