◆「配色」に興味を持ったきっかけは、着物のコーディネート
―現在の「色」のお仕事に就くまでの軌跡を教えてください。
大学卒業後、学生時代からファンだった着物屋さんに就職した頃にさかのぼります。業務の1つとして商品カタログや広告の撮影でのコーディネートを担当したときのことです。着物のコーディネートなんて「小物の色を揃えればいいのだろう」と簡単に考えていたのですが、なかなか奥が深かった。先輩社員による素敵なコーディネートを見て「あんな風に上手に合わせられたらいいな」と羨ましく思ったのが、色について学びたいと思ったきっかけでした。
ちょうど当時は「カラーを学ぶ」ということが流行り始めていた頃。私は、カルチャースクールで「カラーを学ぶ」講座を受講しましたが、勉強するうちに、将来的に色に関わる仕事をしたいと思うようになったんです。カルチャーセンターで学んだ後、入学したのが2年制のスクール。そこは塗装業の女性が、お客様からの外壁などの色に関する相談にきちんと答えられるようにと色の勉強を始め、その後、ご自分で立ち上げたところでした。
ですから1年目は「色彩の基礎」を学びましたが、2年目は実習で集合住宅や公共施設の外壁をプランニング。その内、カラーの知識だけでは足りないと感じるようになってきて。でも今から建築学ぶ感じでもないと思っていた私の頭に浮かんだのが街並みの色合い、「景観」でした。
◆ダブルスクールでの学びを経て
-建築に必要な「色」の勉強をされたのですね。そこから街の景観について学ぶことになるとは!
そうなんですよ(笑)。建築を学ぶうちに街の景観について考えるようになり、その景観を壊しているのは看板類だと気づいたんです。景観に関して学べるところはないか探していたら、自治体の職業能力開発センター(当時の名称:職業訓練校)に無料で1年間学べる「広告塔やサイン類を扱う科」があることを知り、25歳で入学。昼間は職業能力開発センターで学び、夜はカラーの学校に通いました。職業能力開発センター修了後に就いたのは、広告物制作会社で「広告物の図面を描く仕事」。当時は、パソコンがない時代で、CADはまだ会社に導入されていなかったので、カーブ定規を使って企業のロゴなどを手描きしていました。
◆「色の仕事がしたい」という初心を思い出し、母校で講師に
-塗装業に、街の景観、そして広告物の製図描き。ファッションから、随分はずれてきましたね。
好奇心の赴くまま、流れに任せてそれは楽しくやっていたのですが、ふと「あれ!? 私、色彩の勉強をして、それを仕事にしたいんじゃなかったっけ」って気づいたんです(笑)。それで広告物制作の会社を退職して、以前学んでいたスクールに、「講師のアシスタントのお仕事などはありませんか」と相談したところ、「クラスを1つ持ってください」という話に。人前で話したこともないのに、「どうしよう!」と思いましたが、お引き受けしました。
◆晶子さんが気付いた少ない枚数でも着まわせるコツとは?
-チャレンジされたんですね! でもそのチャレンジによって、発見があったとか。
そのスクールには、講師は「自分のパーソナルカラーのスーツを着る」「骨格に似合うものを着る」という暗黙のルールがありました。それまでスーツやジャケットなんて持っていなかったので、新たに揃えなきゃいけない。でも一度に何着も買えないですよね。そこで色々と考えた末に気付いたことが、「自分に似合う色」「自分に合う形」を軸に洋服を選ぶと、比較的少ない枚数で着まわせるということだったんです。
みなさんも、気に入って買ったけれど、ほかの服とうまく合わせられなくて結局着ていないという洋服がありませんか? でも合わせ方がわかれば、「着ない服」も「着る服」に昇格できる。大切なのは、合わせ方なんですよ。
例えば、雑誌やテレビでスタイリストによる読者や視聴者の変身企画がありますが、変身後はとても素敵だけど、そのコーディネートのレベルをキープできるのか疑問に思うんですよ。持っている洋服を全部取り替えないと無理じゃない?って思うのは、私だけではないはず(笑)。
自分の手持ちの服や少し買い足すことで素敵なコーディネートをキープできないか、いろいろと考えるうちに、自分オリジナルのメソッドが見えてきて、それまでやってきたスクールの指導内容に沿った講義ではなく、「自分のやり方」でやりたいと思うようになったんです。
講師として始動した晶子さんの次のミッションは? 次ページへ