Woman Crossroad 100人インタビュー
File No.2 増田恵美(めぐみ)さん
「あなたのファン作りアドバイザー」として、多くの迷えるブロガーたちを導き、ご自身もパワーブロガー、インフルエンサー、読者モデルとしてさまざまなメディアに露出するなど活躍中の恵美さんの”分かれ道”をご紹介します。
◆短大の就職課のアドバイスに絶句
短大卒業後は、企業でOLをして結婚したい。そう思っていた私に、就職課の先生がこう言ったんです。「君、事務仕事は無理だから」と。初対面なのに(笑)。さらに「この3つを受けなさい」と言われたのが、「ミス・フェアレディ」「トヨタプリティ」「NECの万博コンパニオン」でした。結局、一番条件の良かったNECを受けることにし、競争倍率24倍をくぐり抜けて採用されました。その後、半年の研修を受け、コンパニオンの仕事に就きました。
◆万博コンパニオンから、インストラクターとして全国を飛び回る日々
コンパニオンの任務終了後は、社員としてどこかの部署に配属される予定でしたが、あろうことかインストラクターとして採用した新人が、入社4日目で来なくなり、慌てた部長が人事にかけこんで「とにかく女の子が欲しい」と直訴したところ、「万博会場で1人選んできて」と言われ、会場で見つけたのが私だったそうです(笑)。
すでにコンパニオンとして、商品知識や操作、人前で話すスキルは身に付いていたので、入社の翌週から毎週、営業マンと一緒に日本全国を飛び回る毎日が始まりました。30年前は、女性が出張することが珍しい時代。出張先でも、「女の子をよこされても困るんだけど」と露骨に言われたり、新幹線や飛行機では、スーツを着たおじさんたち中で、タバコの煙に耐えながら座っていました。
結局、2年ほど展示会の対応なども含めて出張の日々が続きましたが、あまりに忙しくて、土日は疲れて寝ているだけ。日帰りで沖縄、札幌出張、2日連続で九州なんて当たり前。しかも自宅を朝6時に出て帰宅が23時になっても、出張先までの往復の移動時間は就業時間としてみなされないんです。2000円の出張手当なんて、お昼代で消えてしまう。仕事がすごくハードなのに、お給料が安くてどんどん不満は募っていきました。
◆BMWのショールームレディ、そして営業へ
転職を考え始め、「とらば~ゆ」をめくる日々が半年ほど続いた頃、夜、寝る前にベッドの中で求人広告を見ていたら、「BMWのショールームレディ募集」が目に飛び込んできて、「これだ!」と。見つけた瞬間に大興奮して、その晩眠れなくなりました(笑)。すぐに履歴書を送って、何回か面接して採用が決まり、NECを退職しました。
実は私、短大生の頃、レーサーになろうとB級ライセンスまでは取ったくらい車好きだったんです(笑)。後日、ショールームレディの競争率は、120倍以上だったということを聞いて驚きました。
当時は時代がよくて、来店されたお客様に、「この車、他に何色があるの?」と聞かれ、ある色を答えると、「じゃあ、何色ちょうだい」という感じで売れてしまう。座っているだけでボンボン売れる時代で楽しかったです。1年間、ショールームにいた後、会社の方針で営業として外回りの仕事をするようになりました。でも、やってみて私は営業向いていないことがわかり、仕事に限界を感じていた頃に夫と出会いました。
もともと家庭の主婦への憧れがあり、結婚後は専業主婦になりたかった私に支店長が「愛があっても生活はできないよ。お金がないと愛もなくなるから。2人で働いた方がいい」と言われて仕事を続けましたが、仕事と家事の両立で半年間でボロボロになり退社しました。
◆仕事では私の代わりはいるけど、子どもにとって、私の代わりはいない。
その後は、NEC時代のパソコンの技術を持って、いろんな会社に派遣で3年くらい働きました。出産後は一切仕事を辞めて、専業主婦になりました。仕事は私の代わりがいるけど、子どもにとって私の代わりはいないから、子どものために仕事は一切しないと決めました。とにかく子どものために時間を使いたくて、毎日、お菓子は必ず手作り。梅干しをつけたり、お味噌を作ったり。子どもだけじゃなく、自分の時間も楽しんでいました。
専業主婦は、トータルで17年に及びましたが、長男が高校生、次男が中学生になったので、そろそろ働こうと思い始め、派遣会社に登録しました。でも、専業主婦期間が長いのと、特別なスキルもなかったので、すぐに仕事には結びつきませんでした。
◆昔、身に付けた技術と知識が、20年後に必要とされた!
ある日、ネットで仕事を探していたら、教育機関でパソコンが出来る人を募集していたんです。昔やっていた内容と近いと思い、エントリーしたら、「来て欲しい」とのこと。私は、どうせまた行っても登録だけで、仕事はこないだろうと思って出かけたのですが、専業主婦歴は長いけれど、NEC時代に学校でパソコンの仕事をしていた経験から「学校の先生とうまくやってくれる人を探していた。あなたの経験をかいたい」と即決でした。すぐに小学校でICT(情報通信技術)教育の指導を開始することになったのです。
◆子どもが受験中に通信教育で学んだデコアート
でもしばらくすると、子どもたちの大学受験と高校受験が重なり、いったん仕事はストップすることを決心。そんなある日、自分好みのiPhoneケースを自分で作ろうと通信教育でデコ(デコレーション)を学びました。その後ウェブショップを開設、宣伝のためにブログを書き始めました。子どもたちの受験が終わった時には、デコが仕事になっていて、そのブログを書くのが楽しくなっていました。その後、またパソコンの仕事で声がかかり、今も週3回、学校でパソコンを教えています。
◆ネット上での影響力を自覚し、ブログ講座を開始
ある日、縁あってパーリィテラスという40代の女性のコミュニティに入ったのですが、そこで知り合った人たちに「どうして、増田さんが“この店が良かった”とブログに書くと、みんなも行きたがるの?」「あなたすごい影響力あるよね」と言われ、ハッとしました。そのうち「ブロガー向けの講座をやって欲しい」と依頼されたので、それまでデコの宣伝ブログだったのを、「あなたのファン作りアドバイザー」としてブログを全部改装したのです。
今は、毎日FBやブログを書く時の注意点、読者登録の仕方、ブログの設定など、私はこれくらい普通だと思っていたことが、ブログに書いたら、「知らなかった!」「目からうろこ!」と喜んでもらえるのが嬉しくて、リアルな視点で発信しています。 (終)
あなたのファン作りアドバイザー ブログ http://ameblo.jp/gleam-deco/
パーリィテラスサードステージメンバー http://www.pearlyterrace.com/
ポニッツアンバサダー http://shop.ponits.jp/
<インタビューを終えて>
増田さんは、一言で表すと「選ばれる女(ひと)」でしょうか。
もちろん、ご本人の資質と努力あってこそだけど、運も味方につけて、どんどん次の扉が開かれていく人生という印象を受けました。
実は、増田恵美さんの字画は、41角の大吉で、「大志大業を成し遂げる実力を伴い、名誉、富、繁栄を得ることができる」という運をもっているのだそう。記事の内容通りのなるほど!のこれまでの人生ですが、まだまだ次のステージに向かっていくというエネルギーがあふれ出ているのを感じました。
取材中、ハッとしたのは、「これくらい普通かなと思っていたことが、人の役に立って、喜んでもらえることがわかった」ということ。100人インタビュー1人目として取材をさせていただいたハンドメイド作家の千村さんも全く同じことをおっしゃっていたからです。
自分では普通だと思っていることが、実は他の人からしたら“お宝”かもしれないなんて、ワクワクしませんか。自分では、何が“お宝”なのかも、気付かないかもしれないけれど、“発信”することで、周りの人が教えてくれるかもしれません。ブログでもいいし、誰かに話すのでもいい。まずは、“発信”することから始めましょう。Find the treasure inside of you!
増田さんの選んだ「ワークバリューカード」
自分が仕事をする上で、一番大切なモノ・コトを15枚のカードから選んだ結果がこれ!
♡人に影響を与える
♡多様性・幅広さ
♡リスク・チャレンジ
の3枚でした。
ワークバリューカードについては、こちら
→ 女の分かれ道研究所ブログ「”あなたが仕事をする上で一番大事なこと”がわかるワークバリューカード」