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1つ1つの仕事を極め続けた先にあったものは?「グラン・アモーレ」代表 山崎純子さん 前編


板橋区・小竹向原で「グラン・アモーレ」“大きな愛”という意味の隠れ家エステサロンのオーナー兼エステティシャン・山崎純子さん。人に勧められるままさまざまな仕事を経験するも、なぜかことごとく理不尽な仕事の失い方をしてしまう20代。「今度こそ!」と始めたエステの仕事では、「いつか自分の店を持つ」ことを夢に描き、1年360日働き続けるも、その夢は、あることをきっかけに「また」幕切れを迎えます。でも純子さんの確かな腕を見込んだかつてのお客様の一言によって、再びエステティシャンとしての自信を取り戻し、現在では、予約が取れない人気のエステサロンを経営するまでになった純子さんのストーリー、前編をご覧ください。

■カフェ開業を夢みて調理師学校へ。でも、まさかの展開が!

  ―美容関係の仕事には、お子さんの頃から興味があったのでしょうか?

山崎さん:美容に限らず、特に何になりたいという夢は、ありませんでした。両親からは「薬剤師がいいんじゃない」と言われ、祖父からは「公務員がいいよ」と言われ、結局、小学校の卒業式では、全校生徒の前で「美容師になりたい」と発表したのを覚えています。

 ―将来の仕事のことを考え出したのは、何歳くらいの時ですか?

山崎さん:高校生の頃でしょうか。当時は、カフェブームで、よく友だちをカフェ巡りをしていました。そのうち、「いつか自分のカフェを持ちたい」と思うようになって、高校卒業後は、夜間の調理師の専門学校に進みました。昼間は会員制のフレンチレストランで働いて、夜は学校に通うという毎日でした。

 ―学校で学びながら、実地で経験を積んでいらしたんですね。

山崎さん:都内にあったウェディングも行える会員制の創作フレンチのお店で、20人のスタッフを抱えるところでした。華やかな職場だったのですが、働く環境としては良いとはいえず、スタッフがどんどん辞めていくようなところで。1人しかいなかった女の子のパティシエが辞めてしまったために、キッチンスタッフで学生だったにもかかわらず、私がパティシエとして働くことになったんです。それだけでも、ひどい職場だということがわかると思うのですが、さらに突然、お店から「調理師学校を退学しろ」と言われたんです。

―え!?「学校を退学しろ」とは、どういうことでしょう?

山崎さん:私が夢に描いていたカフェを開業するには、必ずしも調理師免許を取得する必要はないことがわかったんです。その事実を知らずに調理師学校に入学した自分にまずびっくりしました(笑)。カフェを始めるには、「食品衛生責任者」という都道府県が認定した資格取得者をお店に1人置けばいいということがわかりました。調理師免許の取得する必要がない、つまり、「学校に行く必要がないのであれば、店が人手不足で大変だから、退学して店の仕事に専念して欲しい」とレストランのシェフから言われたんです。一瞬、自分の耳を疑いました。私は、両親から学費を出してもらって通っている学校を、そんな理由で退学なんてできないので、レストランの方を辞めました。

■失意の末、スーパーでアルバイト。でも、退職に追い込まれる事態に

 ―なるほど。そのお店のスタッフが辞めていく理由がなんとなく私にもわかる気がしてきました(笑)。結局、調理師免許は、取得されたのですか? 学校卒業後のお仕事は?

山崎さん:調理師免許は取得しました。でも、なんだか「カフェを開きたい」という夢に対するモチベーションが下がってしまって、卒業後、どこにも就職しなかったんです。仕事もしないで家にいる私の姿を見かねて、当時、大型ショッピングモールでアルバイトをしていた妹が、「スーパーでレジ打ちを募集してたよ、家でダラダラしているんだったら働けば?」と言ってくれて、「じゃあ働こうかな」と(笑)。ほんの腰掛程度のつもりで仕事を始めました。

―専門学校で学んだこととは、全く異なる仕事に就かれたのですね。スーパーでのお仕事はいかがでしたか?

山崎さん:レジで商品バーコードを読み取る仕事でしたが、楽しかったですよ。「同じ職場の誰よりも早く打てるようになってやる」って、自分なりに目標を掲げてスキルも上げながら楽しんでいました。でも残念なことに、働き始めて4年ほど経ったときに閉店することになって、また辞めることになったんです。退職後は、気分転換にヨーロッパに旅行に行って、すこしのんびりして、帰国後はまたプラプラしていました。

 

―その時、純子さんはまだ、23歳くらいですよね。帰国後のお仕事は、どのように考えていたのでしょう?

山崎さん:一応、調理師免許を持っていたので、次はカフェで調理の仕事に就きました。ただ、「またか」という感じなんですが、カフェのオーナーと店長の関係が悪くて、スタッフがみんな辞めてしまったんです。残った私は、ドリンクだけを提供して営業を続けていましたが、そのうち、お店が立ち行かなくなって、そこも退職しました。

―次々とそんな事態になるなんて……。純子さんご自身は、努力されているのに!

山崎さん:本当に(笑)。どうしてなんでしょうね。次は、アルバイト先の後輩から誘われて、ネットビジネスの販売代理店を始めました。ネットビジネスのイメージもあまり良くなかったですし、気のりはしなかったのですが、とはいえ何か仕事はしないといけないしという感じで。社会貢献活動もしている会社だったので、自分もその活動の一端を担っているという気持ちを拠り所にして3年間続けました。でも、販売代理店の資格を維持するのに必要な売上は、毎月25万円。当時、私はまだ20代前半だったので、見込みの売り先になる人脈もそれほどなくて、毎月、自腹を切って売上を立てないと販売代理店の資格を維持できなくなってしまって。これ以上は続けられないと思い、ネットビジネスの仕事を辞めました。

どこの職場でも一生懸命頑張るのに、なぜか「仕事、職場に恵まれない」純子さん。20代半ばになった純子さんが、次に選んだ職場は、まさかの!? 

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