[h2vr char=”30″ size=”18″ line=”1.5″] カフェ・コトリ 第2回
(前回までのあらすじ)
糸島の海辺に立つ『カフェ・コトリ』にある日、二人の客が訪れ、店主のミキは驚く。盲目の男性は30年前に別れた恋人、洋一だ。もう一人の若い女性は彼の娘らしい。
年はおそらく20代前半。小柄な体にショートカットが良く似合っている。
「可愛らしい娘さん」
ミキは心の中で呟く。クルクルと良く動く瞳が愛らしい。きっと洋一は、自分が失ってしまった『瞳』を娘の名前に託したのだろう。ミキは胸がつぶれる思いがした。洋一は、どんなにか、娘の姿を見たいだろう……
瞳がメニューを閉じたのを見て、ミキは声を掛ける。
「お決まりですか?」
瞳は一瞬父親を見たが、自分から答えた。
「私は『グァテマラ』を。おとうさんは?」
「『コトリ・ブレンド』を」
「はい、かしこまりました」
窓の外は一段と暗くなった。やはり雨が降り出したのだ。ミキはまだ心を静めることが出来なかった。30年振りに会った洋一。少し傾げた首は昔からの洋一の癖だ。声も若干低くなったが、あまり変わらない。
糸島には陶芸家が多く住み、沢山の窯が有る。ミキはカフェの定休日には多くの窯を巡り、気に入った珈琲カップや皿を購入するのが常だ。その器を販売もするが、本当に気に入ったカップは手元に置き、カフェで珈琲を淹れて出す。客が来ると、この客にはこれ、とミキは直感で選ぶ。客がそのカップで飲む姿を見て、ほらピッタリだ、と自己満足に浸るのがミキの楽しみであった。
ミキは瞳には黄色い野の花を描いた優しい雰囲気のカップ、洋一には素朴でぼってりとした、表面に線状の模様をつけたカップを選んだ。それに丁寧に珈琲を注ぎ、運んで行く。
「お待たせしました」
声が震えていないだろうか。
「有難う」
「おとうさん、熱いから気を付けてね」
「ああ、わかった……このカップは面白い手触りだな……いいね」
「私のカップには可愛い花が描いてあるの」
雨が激しくなって来た。
洋一と別れた時も雨だった。
あの日、二人は車中にいた。フロントガラスに激しく打付けては流れて行く雨を見ていた。心も粉々にちぎれ砕かれて流れて行きそうだった。暫く続いた重苦しい沈黙を洋一が破った。
「結婚する前で良かった……目の病気が分かるのが」
ミキは、すすり泣いていた。
「ごめんなさい」
「ご両親が反対するのは当然だ。失明する男と結婚させる親はいないよ。娘が苦労するとわかってて」
「でも、洋一は?」
「僕の事は心配しないで」
瞳が甲高い声を上げた。
「お父さん!どうしよう!土砂降りになって来ちゃった」
ミキはハッと我に返った。これから二人は何処に行くのだろう。ミキはお節介かと思ったが、黙っていられず二人に声を掛けた。
「あの……傘はお持ちですか?良かったら、お貸ししましょうか?」
瞳は戸惑って瞳を丸くした。
「あ、いえ……」
「何かのついでの時にでも、返して頂ければ。直ぐで無くていいですよ」
「有難うございます。車の中には、傘有るんです。もう少し、小降りになるのを待ちます」
「……そうですね」
ミキはゆっくりとカウンターに戻る。洋一は私の声に気付かないのかしら?洋一の声は変わらないけど、私の声は年を取って変わっているのかもしれない。私は洋一が見えるけれど洋一からは私は見えない。そうよ、声で分かる筈が無い、30年も経っているんだもの。
最終回 連載小説「今日。あの人に会いに」
連載小説「今日。あの人に会いに」第6回
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