interview

「100歳まで、健康で楽しく、おしゃれ心を持って生きる」 オヌキマキさん 後編


前編では、愛する男性との結婚と同時に「嵐」の時代の幕開けとなったというお話をうかがいました。3年間も誰にも言えなかったというマキさんのトラウマ「パスポート忘れ事件」も夫婦最大の危機!?と思いきや、それが功を奏し、職場の人間関係が飛躍的に改善することに。結婚生活も10年を超え、さあ、これから!というときに、今度は東日本大震災により、ご主人の実家の写真館を追い出されるという新たな局面を迎えます。マキさんの運命やいかに……!

 

■2011年東日本大震災によって、親子関係に大きな変化が

 ―本田健さんのセミナーに参加されたことで、お二人の関係が修復されたんですね。それは良かったです!その後、写真館でのお仕事は順調でしたか?

 マキさん:それが2000年に写真館を建て直したときの借り入れを返済できたと思ったら、東日本大震災が起きたんです。当時、テレビでは、水戸に関するニュースはほとんど報道されていなかったけど、実は相当な被害が出ていたんですね。当然、写真館の経営にも影響が及びます。先行きの不安もあり、お世話になっている方に相談にうかがったり、主人と2人で手立てを求めて毎日のようにあちこち奔走していました。

ところがある日、当時の会長だった義父が写真館が震災の影響で大変な状況にあるときに、2人で写真館を不在にしていることに腹を立て、私たちは水戸の写真館から追い出されてしまったんです。私たちは今後のスタジオのためにあちこちに相談に行っていたのですが、真意を理解してもらうことができなくて。私は、ずっと小貫写真館の経理を担当していましたが、仕方なしに帳簿も全ておいて出てきました。「もう絶対に戻れないな」って思ったのを覚えています。

■東京・月島を拠点に2人だけで新たなスタート

 ―追い出されたとは、穏やかではありませんが、ご主人のご実家を出られた後のお仕事や生活はどうされたのですか?

 マキさん:東京の月島にスタジオを持っていたので、そこで2人でイチからスタートすることになりました。主人は、それまで社長としてお給料をもらっていたのに、収入は当然ですがいきなりゼロに。貯金もすぐになくなり、不安でいっぱいでしたが、イチからやり直すしかなかったですね。ただ主人は、お金の面だけでなく、実の両親との関係も壊れてしまったので、とても辛そうにしている姿が心に痛かったです。

辛くても食べていくために考えたのが、写真講座の開催でした。写真講座は、それまでやったことはなかったのですが、4か月で完結する講座には多くの方が参加してくださり、合計10回ほど開講しましたが、いずれも大好評でした。

―その後も、ご実家との関係は、変化がないままだったのですか?

マキさん:東京に出てきて2年ほど経った頃、主人が第50回富士フィルム営業写真コンテストの金賞を受賞したんです。この受賞を境に、義父との関係に変化がみられるようになりました。写真家としての息子を認めてくれたのかなと思って嬉しかったです。受賞からさらに2年後の2016年がオヌキ写真館の125周年で記念のイベントを行うことになって、それをきっかけに水戸に戻りました。

私たちが不在にしていた数年間に悪化していた写真館の経営状態も1年がかりで元に戻しました。このときは、私は一切現場には出ないし、経理にも一切携わらないということを決めて、コーチングを学んだ立場で「スタッフのケア」を担当しました。現在では、素晴らしいスタッフたちと一緒に、私も小貫写真館のミーティングや取り決めなどに関わっています。

次ページでは、30代、40代と家族を支えてきたマキさんが、50歳を機にご自分が「本当に欲しいもの」に気づき、新たな一歩を踏み出すお話です。

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