[h2vr char=”30″ size=”18″ line=”1.5″] カフェ・コトリ 第1回
そのカフェは、福岡県糸島半島の海辺にあった。
「カフェ・コトリ」。
珈琲と手作りスコーンを出す店だ。この頃はテレビや雑誌でも「糸島特集」が組まれ洒落た店が増えつつあるが、ミキが始めた頃は未だカフェは珍しかった。
吉村ミキは52歳。両親が建てた野菜の直売所を改装してカフェを始めたのが28年前。
夏の海水浴と冬の牡蠣のシーズンは外にまで客が行列を作るくらい忙しい。だが今はオフシーズン。サーファーは季節に関係無く波と戯れるが今日はあまり波も無い。ゆったりとした時が流れる午後だ。
5軒隣りの和代さんが、独りのんびり珈琲を啜っている。和代さんはミキより少し年上で、毎日珈琲を飲みに来てくれる常連さんだ。スコーンに入れるカボチャやほうれん草などの野菜を分けてくれる。
「ご馳走さん。お代ここに置いとくけんね」
「あ、ハイ」
「雨の降ろうごたあね……ばって、この頃降りよらんやったけん、よかたい」
「そうやね」
「じゃ、又来るけん」
「いつも有難うね」
ドアが閉まる。
ミキは、窓から空を見上げる。黒い厚い雲が空を覆い尽くそうとしている。今日はスコーンを朝一番で沢山焼き上げたけれど、残るかもしれないな。ミキはカウンターに戻り、水を一杯飲んで店内を見渡す。この店の内装は、木の温かみを生かした山小屋の雰囲気にミキがこだわった。中央には小さな本棚が有り、日本各地の山の写真集や鳥類図鑑が並んでいる。柱には巣箱が掛かり、本物と見紛う小鳥がその穴から顏を出していた。
ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
白い杖を突いた50代位の男性と若い女性が入って来た。コツ、コツ、コツ……杖の音と二人の足音が響く。
「おとうさん、ここ段差が有るわよ」
「ああ」
「大丈夫?気を付けて……ここに座りましょう」
「ああ」
「ね、『カフェ・コトリ』って、可愛い名前ね」
「ああ……そうだな」
「お店の中にも、小鳥の絵や置物が飾ってあるのよ」
ミキは、息をするのを忘れて男性の顔に見入っていた。ミキは、心の中で叫び声を上げた。
「洋一!……」
洋一に間違いない。30年前に別れたミキの恋人。二人は婚約寸前だった。だが、洋一が網膜色素変性と言う目の病気に罹り、失明は免れないと宣告されてしまったのだ。二人は別れ、洋一は治療のため引っ越した。そして、今30年振りに二人は再会したのだ。
ミキは水の入ったグラスを2つ、テーブルに置いた。
「お決まりになったら、お呼び下さいね」
カウンターに戻り、心を静めるように洗い物を始める。やっぱり洋一だ。
「おとうさん、雨が降りそう」
「瞳は雨女だったかな」
「そんな事無いわよ……わあ、海の色も灰色だわ」
「瞳、メニューを読んでくれ」
ミキは「瞳」と呼ばれた若い女性を改めて見た。
[/h2vr]
最終回 連載小説「今日。あの人に会いに」
連載小説「今日。あの人に会いに」第6回
連載小説「今日。あの人に会いに」第5回
連載小説「今日。あの人に会いに」第4回
連載小説「今日。あの人に会いに」第3回
連載小説「今日。あの人に会いに」第2回
連載小説「今日。あの人に会いに」第1回
連載小説「カフェ・コトリ」最終回
連載小説「カフェ・コトリ」第4回
連載小説「カフェ・コトリ」第3回
連載小説「カフェ・コトリ」第2回
“女の分かれ道”をテーマにした連載小説「カフェ・コトリ」スタート!