第6回 妬み、嫉み、損得勘定
この6月から7月にかけては、地震とお大雨で私の住んでいる地域でも被害がありました。
余震や土砂崩れに怯える毎日の中で、私でも少々疲れていますから、更に酷い被害を受けられた方を思いますと、本当にお気の毒でございます。
人は有事の際に内省すると私は思っています。
例えばこの天災時においても様々なことを考えさせられました。
恥ずかしながら私は、妬み・嫉みの感情がかなりひどい人間なので、他の方が楽しそうにしていたり、綺麗な人を見たりすると嫉妬したり、落ち込んだりするのです。
SNSの普及は私や、またナイーブな方の感情の起伏に拍車をかけるようになりました。
見てしまう、禁断の記事・・・
見てしまった時に、何にも思わない方もいれば、やはり人はそれぞれで性格もあるから、感情が揉まれてしまう人もいます。私もそう。
「私はこれだけ苦しいのに」
「私はこれだけ苦労したのに」
「私はこれだけ努力したのに」
あの人は・・・あの人は・・・あの人は・・・・ と思いつづける。そんな自分に疲弊するのです。
多分それは結局のところ自分にスポットが当たっていて周りのことはさておきまず「自分」なのです。
そして、損得勘定こそ「自分」です。見返りがないことは一切しない、利益になることはしない、あの人と絡んでいれば得をするはず。
こういった気持ちが、何かを狂わすような気がします。
推測ではありますが「これだけやってあげたのに」は自分のものさしであって、してもらった側は「何かをしてもらった」とすら思わず、なんのこと?という態度を取られてしまうと「やってあげた」と思っている人は慟哭が始まります。
結果、ですが・・・
私は感情コントロールやマネジメントもできません。術も知りません。知ろうとしていないというのが素直な気持ちでしょうか。
これは、仕方ないのです。人である以上、お釈迦様でもあるまいし・・・
さすがしくじりアラフォーこれを悟ったのもつい最近。
優劣は何を持って優劣とするか。
美醜は何を持って美醜とするのか。
このことを冷静に考えればなんてこともないのかもしれません。
嫉妬するなんてもったいない!なんてポップにおっしゃる方もおられますが
これってコントロールは難しいと思いますよ。
だからもう、妬み、嫉みは仕方ないと思って生きていったほうがいいのではないのかしら。
そしてそこで、つまずいたらそれは学びであり、自己責任です。そこから這い上がるのもいいと思います。
ただし損得勘定においては、少し気をつけたほうがいい。
あからさまになると人を傷つけたり恨まれたりもします。
生意気ながら、損得だけで動いている人に成功などないと思っています。成功したとしてもそれは一過性のもので時が過ぎれば無くなっていきます。嫉妬されても恨まれるまでいくと、事件です。
妬み嫉みは自己責任。
損得勘定は人を巻き込む。
一番肝心なのは、人に迷惑をかけない、人を傷つけない。完璧でなくても心がけは大切です。
したたかな振る舞いはいつかメッキが剥がれ露呈する。
自然の猛威を目前にしなすすべが無い時
人を嫉妬する時間を持てることさえも、急に生きることさえ遮られてしまった方々を想うと貴重というか贅沢と言わざるを得ません。
答えの出ない、感情や気持ちの話は難しいですね。
次回の更新は、8月20日(金)です。お楽しみに!
RICAさん
1973年生まれ。44歳。
大学時代から高級セレクトショップで働き、さまざまな人間模様を目にする。その後、国立大学秘書、人材派遣業を経て某電鉄系会社にて人事部人材育成を担当。現在、フリーで研修、時々販売員をしている。研修内容は、「マナーの前にまず躾」「気持ちで動く、働く」をモットーに伝えている。得意分野は医療、ファッション、社会問題、美容とさまざま。

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