アーティフィシャルフラワー第一人者  花装飾作家 FLORA ROOM主宰 中山亜希子さん


◆アーティフィシャルフラワー1本で勝負していく

AKKOさん 3-その頃、日本には“造花”という言葉はありましたが、アーティフィシャルフラワーなんて洒落たネーミングではなかったですよね。

2006年頃は、プリザーブドフラワーが全盛だったこともあり、「今さら造花なんて」と言われたこともあります。でも私が扱うは、ただの造花ではなく、インポートものの美しく珍しいお花だったので、「この美しいお花は何だろう?」と注目を集めていたようです。

 

-もともと草月流の生け花の素養もおありだったとか。それをアーティフィシャルフラワーだけに絞ったのはどうしてですか?

お花の仕事をやる人はごまんといる中で、キャリアもコネもない者がやっていくには人と同じことをやっていては絶対無理だと思っていました。アーティフィシャルフラワーは、当時圧倒的にマイナーな分野でしたが、生花・プリザーブドフラワー・アーティフィシャルフラワーの3本立てという方は多くいらっしゃいました。もちろんその方が仕事の間口は広がりますが、私はそれでは勝負できないと思ったのでアーティフィシャルフラワーのスペシャリストになろうと決心したのです。大勝負でした。 

 

-「今さら造花なんて」と言われてもなお、アーティフィシャルフラワーに特化とは、思い切りましたね。アーティフィシャルフラワーを扱うのに、”これだけは譲れない”ということを教えてください。 

とにかく、“クオリティの高さ”です。アーティフィシャルフラワーの場合、生花とは違い長期間にわたって飾られる分、クオリティが非常に大切。低品質のものは、色の劣化が早く、型崩れしやすい傾向があるので、飾り続けていると安っぽさが目立ってきてしまうのです。さらに品質の高いものでないと、高級ブティックやホテル、飲食店などの家具やインテリアの空間そのもののクオリティを台無しにしてしまう可能性があるのです。ハイクオリティの空間にふさわしいのは、ハイクオリティのアーティフィシャルフラワーなのです。

 

その後、亜希子さんは、2006年テーブルウェアフェスティバルに出品し入選し、それが自信となってその後活動を本格化させます。でも、日本のお花の世界の狭さや上下関係の厳しさを認識せずに日本に戻った亜希子さんに、「しょせん造花でしょ」「海外帰りのポっと出の人が」などと嫌味を言う人もあったそう。でもそれに対しても「悔しいと思うようなことがあるのは、自分に原因があるんです。認められるように自分が変わるしかない。10年続けても結果が出なかったら、スッパリやめようと思っていました」とご自分に厳しい目を向け続けてきました。

 

◆心が折れそうになったことも。でも前に進むしかなかった 

 

-「10年続けても結果が出なかったら、スッパリやめる」。でも実際の10年後には、専門誌「アーティフィシャルフラワー」が発行され、亜希子さんの作品が表紙を飾り、“第一人者”としてインタビューを受けられています。 

アーティフィシャルフラワーも、専門雑誌が発行されるほど、業界として大きくなったと思うと感慨深かったです。作品と記事で取り上げられた時には、「私の作品を見ていてくださった方がいらしたんだ」と本当にありがたく思いました。雑誌に取り上げられたことで、すでにお花の仕事をしているプロの方が「今のアーティフィシャルフラワーについて学べるのは先生のところしかない」とスクールで学びたいとお問合せをたくさんくださるようになりました。

 

-亜希子さんが、おっしゃる「暗黒の時代」は、心が折れそうになることはなかったのですか? 

なかったと言えば嘘になります。でも、後に退くという選択肢はなく、前に進むしかないと言う状況でした。振り返れば、楽しいこと嬉しいことよりもそれ以上に大変な事の方が多かった。「評価されなくてもあきらめない」「地道に続けることの大切さ」を身をもって感じました。

 

最後に「FROLA ROOM」についてお話いただいています。

 

ページ:
1

2

3 4

ピックアップ記事

  1. 2019年8月からインターネットラジオ番組「ウーマンクロスロード」が始まります。これまでウェブに掲載…
  2. 今年のゴールデンウィークは40歳を過ぎてからはじめたスキューバーダイビングを楽しみました。40歳を過…
  3. 今年のゴールデンウィークは40歳を過ぎてからはじめたスキューバーダイビングを楽しみました。40歳を過…

Twitter

バナーエリア

Because I am a Girl 世界の女の子たちに、生きていく力を 国際NGOプラン・ジャパン

Webをもっと
貴方の身近に B&Cカンパニー
PAGE TOP