◆学んだ知識も、持って生まれた才能も生かせない!?
―「何になりたい!」というのは、なかったそうですが、大学を選ぶとき、ある程度将来を描いて学部選びをしますよね。
世の中の動きについて知りたいと思っていて、「世の中は、なぜこんな風になっているんだろう。もしかしたら、ここがこうだからかもしれない」と仮説を立てて考えるのが好きだった私が興味を持っていたのが「社会学」でした。職業としては、幅広いことに関われて、私の止まらない好奇心が満たされるのではと希望したのがマスコミ関係。また「社会を抜本的に変えるにはどうしたらいいんだろう」ということにも興味があったので、国連職員に関心を持った時期もありました。
―大学卒業後は、学んだ「社会学」の知識を活かした仕事には就けましたか?
それが…。自分の好奇心にまかせてミーハーな就活をしていたせいか、同級生は4月には大手から内定をもらっていたのに、私は6月になってもまだ決まらない状況で、夏前になんとか内定をもらえたのが中小の広告代理店。でも希望とは全く異なる部署に配属されてしまいました。実際には、入社して最初の1年で120社ちかくの案件を受注するなど、成果はあげられたものの、「ここにいても将来への発展性がない」と判断し、入社して2年で転職しました。2社目での仕事は、とにかく激務。心身ともに疲弊してしまって7ヶ月で退職しました。その後、ソーシャルメディアマーケティングの会社に入社しましたが、1年半ほど経ったときに当時お付き合いしていた男性と会社を立ち上げることになり退職しました。
―短い間に何度かの転職、大変でしたね。思い通りに行かない状況が続くと自信がなくなってきますよね。
その期間を振り返って「ナメクジ時代」と呼んでいます。その頃は、「自分が何がしたいのか」が定まっていなくて、「大野さんは、将来何がしたいの?」と聞かれると、塩をかけられたみたいに消えてなくなってしまいそうだったからです(笑)。何をしたいのか、何ができるのかわからないまま年月が過ぎていき、そのうち誰も期待してくれなくなるのかなって思っていました。人前で堂々と話せるし、何でもできそうな私に周りの人がいろんな可能性を感じて、期待もしてくれている。でも、何がしたいのかわからなくて、何も答えられなかったんです。
―もしかしたらですが、「何がしたいのかわからないから苦しい」ということではなくて、できること、好きなことはご自分の中にあって、それに合致する仕事がなかったから苦しかったのでは?
そうかもしれません。好きなことは確かにありました。大学時代に所属していたディスカッションのサークルでやっていた、みんなで議論しながら何かを作っていくという「共創」のプロセスが大好きだったんです。それが仕事にできたらいいけれど、じゃあ、どういう仕事があるのか、あったとしてもなり方もわからない。いろんなビジネスセミナーに参加して、「何をしたいの?」という塩の言葉をかけられては、「わからないんです」と溶けていきそうになる自分を繰り返していました。
◆「頑張らなくていい」と言ってくれた人
―塩をかけられては溶けそうになってしまう「ナメクジ時代」からどのように脱却されたのですか?
2人の人との出会いが転機になったのですが、まず1人目は、エグゼクティブコーチの林健太郎さんです(2年前の2016年にお2人はご結婚)。
出会った当初、14歳年上の彼はすでにコーチングのプロとして活躍していて、私に「頑張らなくていいんだよ。君はいるだけで価値があるんだから。頑張って自分の良さを見せようとしなくてもいいんだよ」と言ってくれた人です。また、「この子の人生は、どうすれば花開くんだろう」ということを、いつも私以上に願ってくれていまいた。
―その後、林さんのビジネスパートナーになったそうですね。
はい。ナンバーツーという合同会社を興して、法人のクライアント向けに組織内のコミュニケーションを円滑にするコーチングを主とした事業をスタートしました。組織のトップの相談に乗ったり、研修セミナーなどの企業トレーニングを実施したりするのが主な業務でしたが、コーチングは彼が、私はマネージメントやマーケティング、広報などの業務を担当していました。
―それは、ナメクジ幸子さんが求めていた仕事でしたか?
まだ、ナメクジ時代は続いていたのですが、彼と一緒に仕事をした4年間の経験は、その後の私に大きく影響しました。「経営者はいったい何を考えていて、何に悩み、それに対してどんなアプローチをすると解決に近づくのか」について、その知見を彼からずっとシャワーのように浴びてきました。また、コーチングという彼のお仕事は、効果的な質問によって考えを引き出したり、気づきをもたらす中で、思考や行動を前に進めていく手法です。彼とコミュニケーションをとってきたこの6年の中で、そのスキルは徹底的に叩き込まれました(笑)。今思えば、この二つの経験は、「理念づくり」をする上で必要不可欠なものだったと思います。
組織トップの方々と仕事をするパートナーの姿を間近に見聞きし、さらに知見を共有する貴重な経験を経て、幸子さんの人生は少しずつ動き始めます。ある日、林さんが経営者の方々から学ぶ機会になればと幸子さんを連れていってくれた経営者の集まりで、もう1つの運命の出会いがありました。
【Backnumber】
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